忍者ブログ
[13] [12] [11] [10] [9] [8] [7] [6] [5] [4] [3]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


藤原 紀香

本名、陣内 紀香(じんない のりか、旧姓:藤原、夫はお笑い芸人陣内智則

兵庫県西宮市出身。所属事務所はサムデイ

神戸親和女子大学文学部英文科卒。ミス日本グランプリ受賞者。

資格は、英語検定2級、着物着付け3級など。

趣味は、女磨き、写真釣り、加圧トレーニング、映画鑑賞、タンゴスポーツ全般、アロママッサージ。

弟がいる。

  • 中学時代はバスケットボール部に所属し、高校時代は落語研究会に所属していた。芸名は「親和亭かつお」だった。
  • ドラマの役柄なども「悪女タイプ」の配役が多い。
  • ピアスをせず、また仕事で髪を染めることがあってもすぐに黒髪に戻すなど、古風な一面がある。
  • 体型が峰不二子に似ている(『SRS』の番組内でコスプレした事があり、自身も50歳60歳になっても「峰不二子」の容姿でいたいと2007年2月16日の『スポーツニッポン』のインタビューで語っていた)。
  • 両親が和歌山県出身であり、よく紀ノ川周辺でデートしていたという。紀ノ川の香りが印象に残ったらしく、「紀ノ川」の「香り」からちなんで紀香と命名された。
  • 母親は紀香と同じ大柄で若き日にはミスコンに出場したこともあるが、家族に反対され芸能界入りを諦めた。その為紀香の芸能活動にはとても協力的だという。2006年12月10日に結納の時に、報道陣に車に乗っている影武者として写真を撮られている。また、同年の5月30日の披露宴に父と共にブラウン管に初めて写った。
  • 著書『藤原主義』(幻冬舎文庫、ISBN 4-344-40413-0)によると、芸能界デビュー当初は実家から新幹線や飛行機で仕事場に通っていたが、阪神大震災で親戚や知人を亡くして「やり残したことを後悔しながら死ぬのは嫌だ。これからは自分の夢に向かって生きていこう」と決意し、親元から離れて上京することを決意したとのこと。その時、家族会議が行われ、母から「成功出来んかったら帰っておいで。」と言われるが最終的には上京を認めた。東京へ行く時、父がトラックに荷物を積んで一緒に東京へ行った言う逸話がある。
  • 大黒摩季ファンを公言しており、カラオケではかなり歌うらしい。また本人とも親交がある。
  • ラジオDJパーソナリティである玉川美沙と同年齢で同じ関西人という繋がりで親交があり、彼女の番組『玉川美沙たまなび』(文化放送)にもゲスト出演した。(2006年10月13日放送)
  • 無類の風水好きでも知られ、陣内智則との交際・結婚についても風水建築デザイナーの直居由美里に相性を診てもらっている。風水で良いとされる、黄色や五角形を好んで身につけているのもこのためである。
    • 2002年には、韓国の女優キム・ユンジンとともにサッカー・ワールドカップ日韓共催大会の親善大使に起用され、両国の交流に貢献した。
    • 内乱後のアフガニスタンに赴き、戦災についてのテレビレポートを行ったほか、元々は趣味から身につけた写真技術を駆使して現地での取材を行い、2004年から2005年にはJICA(独立行政法人 国際協力機構)の『ピース・トーク・マラソン』に賛同して、写真展を日本各地で行い人道支援の寄付募集などのチャリティー活動に努めている。
    • 2006年には、国連スタッフと共に独立運動の混乱の最中であった東ティモールへ向かって写真取材を敢行し、後にニューヨーク市内で国家支援を訴える写真展を開催し、その開会式においてスピーチを行った。
    • 作家井上ひさしとの対談の際には、日本国憲法第9条は堅持すべきであるとする立場をとり、反戦平和を主張したが、2007年の東京都知事選挙で日本国憲法第9条改憲を主張する石原慎太郎のマニフェストに応援メッセージを寄せるなど、矛盾を呈している。
    • 2007年日本赤十字社の啓蒙のモデルをしている。
      • サッカーに関してはW杯の日韓親善大使以外にも、2002年10月から12月に横浜FCのユニフォームスポンサー(NORIKA NET)に就任したこともあった。現在もトレーニングウェアのスポンサーとなっている。横浜FCがセレッソ大阪と対戦した際(対戦当時はJ2に降格していた)、セレッソ(当時)の大久保嘉人に「(横浜FCのスポンサーに藤原がついたことなんて)関係ないです。おばさんには興味がありませんから」と言われたこともある。この発言には藤原のファンの抗議が寄せられた。
      • 格闘技にも精通し(格闘技そのものより、「男らしく強い男性(所謂マッチョ)」が好きという見方もある)フジテレビやTBSで放送される『K-1』の中継の司会を務めている(特に年末のグランプリには毎年の様に登場しており、これを見ないと『年を越せない』と言っている)。また、2003年からフジテレビが独占放映中の2年に1度の『世界柔道選手権』の司会も務めている。
      • 2004年、フジテレビのアテネオリンピックキャスターを務めた。
      • 中央競馬所属の「ロイヤルキャンサー」という馬の名付け親でもある。キャンサーとは蟹を意味し、藤原の誕生星座「蟹座」にちなんでいる。同馬の馬主は、藤原を支援してくれているイザワオフィス代表の井澤健である。
      • 高校時代にMBSの選抜甲子園のセブンティーンリポーターとして出演し、任務終了時に涙を流していた。結婚披露宴にもその映像が流された。現在もMBSに放送資料としてその映像が保管されている。
      • 格闘技情報番組『SRS』の初代ビジュアルクイーンだったが、1999年に卒業。その際、藤原の卒業を祝って、アンディ・フグ桜庭和志フランシスコ・フィリォなどの著名格闘家が一堂に会し、それぞれエキシビジョンマッチや演武を披露した。そして、アンディ・フグが藤原に「あなたがこの番組を卒業しても、あなたは格闘技の歴史の一部です。いつまでも格闘技を愛し続けてください。」という言葉を贈った。藤原はそのことに心打たれたと、『ジャンクSPORTS』内で目に涙を浮かべながら語った。
      • プロ野球に関しては、以前は巨人ファンの芸能事務所社長に配慮して巨人寄りの発言をしていたが、最近になって夫の陣内により実は阪神ファンだということが明らかにされた。奇しくも2007年5月30日の結婚披露宴当日は地元甲子園球場阪神西武交流戦が開催されており、夫と親交がある今岡誠桧山進次郎がホームランを放って勝利し、桧山はヒーローインタビューで記者団に対し「今日打ててうれしいです」と二人を祝福した。そしてその足で披露宴二次会に駆けつけ、ホームランを打った際に貰うトラッキー人形を紀香夫妻にプレゼントした。
        • ブレイクする前に関西ローカルの『クイズ!紳助くん』の初代アシスタント(1993年10月から1997年12月)を務めたこともあり、その際に司会の島田紳助とトーク中心に絡んでいたことが彼女のお笑いに対する理解や、女優としてコミカルな演技を求められた際の演技力向上に寄与したとされている。上京を決意した時に紳助から「東京は戦う場所や!決して甘く考えたらあかん!」と激励された。現在も紳助とは交友がある。
        • 才色兼備の女性がオタク青年と出会い最初は嫌悪感を示していたものの、その真摯な求愛姿勢に徐々に心を動かされてついには結ばれるという、ドラマ『59番目のプロポーズ』でお笑いタレント陣内智則とともに主役を演じた際、陣内と息のあったコミカルタッチな演技も披露して、このドラマのハッピーエンド同様に交際を始め結婚するに至った。
        • 陣内智則以外でも、『あなたの人生お運びします!』ではDonDokoDon山口智充、『だめんず・うぉ~か~』では雨上がり決死隊宮迫博之と、近年お笑いタレントとの共演が多い。
    •  
不倫
 セックスフレンド
 悪徳出会い
人妻 
逆援助
PR


忍者ブログ [PR]
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カテゴリー
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索