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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

青木 さやか(あおき さやか、本名:青木 沙耶加(読み同じ)、1973年3月27日 - )は、日本のお笑いタレント(ピン芸人)、女優。愛知県尾張旭市出身(生まれは愛知県瀬戸市)。ワタナベエンターテインメント所属。身長165cm。体重54.6㎏。ウエスト70cm。血液型O型。既婚。

  • 両親共に小学校教諭という家庭環境で育つ(2006年3月現在、母親は小学校の校長)。愛知県立瀬戸高等学校を経て、名古屋学院大学外国語学部中国語学科卒業。就職活動で在名テレビ局のアナウンサー採用試験を受けるがいずれも不採用となる。
  • 大学卒業後はテレビタレントセンター(TTC・名古屋のタレント養成所)に入学。この時、タレントセンターで講師を務めていた狂言師和泉元彌から狂言の指導を受けたことがある。
  • その後、中京ローカルのフリーアナウンサーとして活動し、林寛子の付き人を経て、中京テレビの深夜番組『めざせ!総・楽・天』に出演。この時はお笑い志望ではなかったが、「面白いタレントになりたい」という自己PRをお笑い志望としてこの番組で紹介されたことがきっかけで、お笑いに転身する。
  • 名古屋では一時期、松田大輔(現:東京ダイナマイト)らと「温泉こんにゃくアクロバットショー」なる5人組のユニットを組んでいた。ユニット脱退後、しばらくフリーで活動していたが、ワタナベエンターテインメントのライブにゲスト出演した際、渡辺ミキ社長にスカウトされ、2003年1月より事務所を移籍して本格的に東京での活動を始め、現在に至る。
  • 駆け出し時代、『お願い!DJ!克也とのりちゃんはっぴぃウィークエンド』(ニッポン放送)で「イエローハットサウンドハイウェイベストヒットセレクション」の中継を担当していた。その縁で、BSデジタル本放送が開始された2000年12月から、BSフジで放送のニッポン放送制作の番組『LF+Rモーニング YOUNG LIVE JAPAN』『ヤングライブニッポンLF+RミュージックTV』に松田大輔と「温泉こんにゃく…」としてレギュラー出演した。
  • しばらくは鳴かず飛ばずの時期が続いたが、2003年秋頃からフジテレビ系の番組『笑う犬の太陽』『ネプリーグ』やテレビ朝日系の番組『Out Of Order』など、事務所の強力プッシュによってレギュラー番組が激増する。本人はこの頃のことを「ネプチューンのバーターで売れた」と語っている。
  • 同じ頃、『エンタの神様』(日本テレビ系)などのネタ番組でブレイク。現在は笑い専門だけでなく、女優業や司会業などもこなす。
  • 2004年8月10日に発売された『週刊ポスト』8月20日・27日号のグラビアでビキニ姿を披露し、賛否両論を巻き起こす。
  • 2004年10月12日放送のテレビ朝日の特番『ロンドンハーツ3時間スペシャル』で、当時の彼氏である「コージ」を公開。番組史上最高視聴率(平均22.1%、瞬間最高30.4%)獲得に貢献する。
  • テレビ番組『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』の企画で、P'UNK~EN~CIEL(L'Arc~en~Cielの変名ユニット)に「P'UNK青木」としてキーボード・コーラス他で参加し、2004年12月25日『天嘉 - 参 DANGER III in 日本武道館』に出演する。また、2005年1月13日にリリースされたL'Arc~en~Cielのシングル「Killing Me」のカップリング曲『Round and Round 2005 feat. P'UNK青木』でCDデビュー。
  • 2005年1月1日朝にフジテレビが放送した新春お笑い番組で海原はるか・かなたと共演した際、海原かなたを真似て海原はるかの毛髪を吹き飛ばすはずが、なぜかおでこにキスをして海原はるかを喜ばせた(アドリブのギャグと思われる)。
  • フジテレビ系『めちゃ×2イケてるッ!』2005年4月9日放送分の芸能人抜き打ちテストでは5位だった。
  • 2005年4月13日に、写真集「Où Voyez-vous?」(タイトルは「どこ見てんのよ?」という意味のフランス語)を発売し、初版2万部が3日で完売した。なお、発売前日の4月12日にテレビ朝日の特番『ロンドンハーツスペシャル』でこの写真集撮影の一部始終が放送された。その後、増刷され7万5千部に。後に、事務所の後輩安倍麻美に「売れたのは、ロンハーのおかげでしょ」と言われたが、「あれはねぇ! ロンハーのおかげ!」と切り返し、否定しなかった。
  • 2005年7月23日~7月24日、フジテレビ系『FNS ALL STARS 25時間テレビ』の総合司会を笑福亭鶴瓶と共に務め、“フジテレビアナウンサー”の肩書きで出演。そして、フィナーレ恒例のフジテレビ新人アナウンサー披露ではこの年の本当の締めくくり役(提供読みの最後は田淵裕章アナウンサー)を担当。芸能人として初めての同コーナーの参加者となった。
  • 2007年7月28日~7月29日のフジテレビ系、FNS27時間テレビで、TEN竺ボウリングの東海テレビの代表者タレント知事として各局と対決、決勝で見事ストライクを決め優勝(決勝の対戦局はフジテレビとテレビ静岡。女性アナウンサー、アマチュアボウラーは1本もストライクを出していない。タレント知事対決でストライクを決めたのは青木1人だった)。支援金を手に入れたが、青木の話し合いの結果、一部の100万円を東海テレビ福祉文化事業団「愛の鈴」を通して新潟県中越沖地震被災者への義援金にすることにした。タレント知事として戦った新潟県出身の三田村邦彦も「ぜひ新潟に遊びに来てください」と感謝の言葉を述べた。残りの支援金900万円は、9月29日に名古屋城の本丸御殿の復元の為にと名古屋市に寄付された。
  • 2007年10月22日、出会って半年の31歳ダンサーと結婚することが発表された。
    • 芸人としての持ちネタは主に、バスガイド、保母、エレベーターガールなど様々な職業のコスプレで、皮肉たっぷりにブラックジョークを連発する一人コント。また、特技のピアノを使い、自作の歌を弾き語りするネタもある。名古屋時代は、アルトリコーダーを吹きながらシュールなことを言う漫談ネタもやっていた。
    • バラエティ番組では、慇懃キャラを軸にしつつ、目上目下にかかわらず相手に罵声を浴びせたり、女であることを過剰に意識してツッコミを誘ったりなど、状況に応じてリアクションを使い分ける。
    • 罵倒については、特に若手の局アナ相手で激しく炸裂するが、これはテレビ局のアナウンサー試験での挫折体験や、その後のフリーアナウンサー経験も影響しているものとされる。なお、滑舌のよさを売りの一つとするが、フリーアナウンサー経験もさることながら「トーク番組で絡んでもらうには、きちんとした滑舌でしゃべらなきゃ」と一念発起したことにもよるという。
    • 決めセリフは「どこ見てんのよ!!!!」(胸元や下半身を隠し、カメラや男性タレントを睨み付けながら怒鳴る)、「ふざけないでよ!!!!」(ノリツッコミ的に用いられる)、「にゃあ」、「にょろーん」(主にコントの落ちで脱力気味に発声される)など。
    • 2004年暮れ頃から2005年初めにかけ、『北斗の拳』『ろくでなしBLUES』『キン肉マン』など、1980年代後半に週刊少年ジャンプなどで連載された漫画に描かれるフレーズや動作を借用して、決めセリフ代わりにすることが多かった。
    • 中学生時代は髪がおかっぱで日焼けをして黒かったため、「ウォーズマン」というあだ名を付けられていた。大学時代は色白になったものの太ってしまい、「テリーマン」というあだ名に変わった。
    • 名古屋時代、『めざせ!総・楽・天』で共演していたキャイ~ンの天野ひろゆきから、ツッコミで初めてどつかれた時、収録終了後、どついたことに対し天野に抗議した。しかし、天野とは既に和解しているようで、同じ番組での共演もある。
    • 波田陽区の事務所の後輩(年齢は青木の方が上)としても知られているが、青木は「波田君」、波田は「青木さん」と実際の芸歴にはそぐわない呼び方をしていると言われる。また波田が青木を斬るネタ「お化粧2時間、ネタ3分」はシングル「ギター侍のうた」の最初にあり、波田のネタでは最もよく使われるギャグの1つである(このネタがTVで放送された直後、青木が激怒。食事を数回おごらせる条件で和解した)。
    • 長井秀和と仲が良く、休みの時は地元のファミリーレストランで愚痴を言い合っているほどである。また、友近とは携帯メールで恋愛相談をし合う仲という。
    • 趣味は麻雀・パチンコ。ブレイクする前は雀荘でアルバイトをしていた。その雀荘の客と交際していたことがある。
    • 視力が悪いため、プライベートではメガネを着用している。メガネをかけた様子はテレビで時々公開される。
    • かなりの高所恐怖症。高さ3~4mの歩道橋でも怖いという。だが、『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』でおしおきとしてスカイダイビングをさせられ、ロケでは終始おびえていた。また「世界絶叫グランプリ」で急降下する絶叫マシンに乗せられ、司会なのに初代グランプリを獲得したりもしている。
    • 同じく『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』の企画「アイドルハンター」では、特技の水泳でアイドルと対決を繰り広げる。ダブルヘッダー・1対3のハンディマッチが組まれる事もあったが、唯一水野裕子に黒星を喫した以外は全勝を果たしている。
    • 但し水泳以外のスポーツはかなり不得意なようで、Qさま!!や『ロンドンハーツ』で失態を見せる事も多い。
    • しばしばタモリから「女装したはなわ」と呼ばれている。
    • 東海地区のローカルタレント・相川真一は大学のサークルの後輩で、青木とは今でもメール交換をするなど仲が良い。日本テレビ系の『おしゃれカンケイ』に出演した際、相川が電話出演した。
    • 東京ダイナマイトと共演すると、メンバーの一人である松田大輔と「温泉こんにゃくアクロバットショウ」時代のネタを再現することが多い。これまでに『Goro's Bar』2005年3月17日放送分と、2005年の『FNS ALL STARS 25時間テレビ』内「真夏の爆笑ヒットパレード」コーナーで実現した。
    • 「芸風」の項でも触れている通り、アナウンサー(特に若手の同性)に対し挑発的なアクションをとることが多い。特に『愛のエプロン』MCの「しわアナ」こと武内絵美アナに対しては著しく、作った料理が「しわを出すほどまずい」という評価を下されると「絶対こいつ追放してやる!!!!!!」などとキレキャラを発揮する。武内も青木のことをよく思っておらず、結果として罵倒合戦になることもしばしば。2007年5月7日放送の『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』では、武内に対して「お前なんか死んでしまえ!」のような、冗談とはいえないような発言をした(2ちゃんねるではかなりの批判が書き込まれている)。しかし、武内アナらと司会を務める『史上最強のメガヒットカラオケBEST100 完璧に歌って1000万円!!』ではバトルは起こしていない。『笑っていいとも!』や『Goro's Bar』では、女子アナと共演していてもバトルを起こすことは稀であるが、相川梨絵に対し「お前、いいともクビにするぞ!」ときつい発言をしている。レギュラーになる前にテレフォンショッキングに出たときも、電話機を受け取る際に女子アナをにらみつけながら強引に奪い取るような印象の悪い態度をとっている。
    • 彼氏に女の影がいるかもしれないと言う心配をした時、寝言で彼の浮気相手を調べたところ、その相手はまじかる☆タルるートくんで「たるるーたるるー」と話していたと語った。
    • 2005年、『FNS ALL STARS 25時間テレビ』中、FNS系列局が地元の“トリビア”を競い合う「トリビアの温泉」コーナーで東海テレビが登場した時、東海テレビのアナウンサー入社試験を受けたことを明かした(不採用だった)。また、同番組のエンディング恒例となっている、フジテレビ新人アナウンサーの提供スポンサー読みで、新人アナ4人に混じって、史上唯一のアナウンサー以外のスポンサー読みを務めた。これは、人事異動免除お笑いフルマラソンを見事完走した山中秀樹アナたっての配慮と言う。ところがセリフは「以上の提供でお送りしました」のみだった。これは、スタッフが「芸能人に提供読みをさせたらミスする可能性が極めて大きいだろう」と判断したためであった。彼女のキャラから、本来ならばキレなければいけないものの、感極まって泣くという失態を演じてしまい、後日『笑っていいとも!』でタモリにダメ出しをされた。
    • 2005年9月、テレビ番組などで紹介された彼氏・コージが、父親の逝去を受けて母親の実家である石垣島に帰る。売れっ子で多忙な青木とは遠距離恋愛が困難ということになり、同年暮れ、この恋愛に終止符を打つ。
    • 写真集の売上を各所で自慢して芸人であることを忘れる様な発言をしていたが、『ネプリーグ』(フジテレビ)で石川亜沙美に「顔大きいですね~。シーマンそっくり」と言われ、『ロンドンハーツ』ではSHEILAにコンプレックスなどを出され、ボロボロ状態にされた。
    • 渋谷駅のモヤイ像が青木に似ていることから、女子高生などの間では像がある出口を「青木さやか口」と呼んでいる。
    • 地理が大の苦手。現在、主に東京を活動の中心にしているにもかかわらず、『Qさま!!』の「プレッシャーSTUDY」にて東京都の日本地図上での位置を当てるのにも不安げだった。
    • 同じ事務所のいつもここからの山田一成が住んでいたアパートに住んでいた時期があった。(通称「幸せの部屋」と呼ばれているらしい)。谷原章介が司会の『カミングダウト』にて判明。現在は別のマンションに引っ越している。
    • 注射が大の苦手。海外ロケにあたり予防注射を受けるよう言われたにもかかわらず、それをせずにロケに行って問題を起こしたことがある、と本人が語るほどである。『ロンドンハーツ』で健康診断を行ったところ、素で採血を嫌がり、終いには泣き出す始末だった。結局、共演者が青木を励ましながら採血した。
    • カメラで撮られることを極度に嫌う。
    • 仕事で上田晋也とキスをした事があるらしい。上田は嫌がっていたが、青木はまんざらでもなかったらしい
      • 深夜時代の『愛のエプロン3』で冷やし中華とバンバンジーが課題だった回で、青木の作った料理を食べたジャッジマン・勝俣州和に、冷やし中華に対し「いくら食べても卵と麺!」と、さらにバンバンジーに対しては、「辛いうんこ」と酷評された。その回ではエプロンガールズの最下位にランクされ、たまたま観光に来ていた青森のカップルにネームプレートを持ち帰らせることとなった。これは番組史上、最も低い評価である。なお、その次に出演した回では「海鮮かた焼きそば・エビワンタンスープ」を作り、ランク外ながらも順位を上げた。この時、青木のネームプレートを返却しに来た青森のカップルは、一緒に出演したインリン・オブ・ジョイトイのネームプレートを交換で持ち帰ることになり、次の週に番組が終了(ゴールデンタイムへの時間帯移動による仕切り直し)、その後に2週間総集編を放送したため、順位はそのままになった。
      • ゴールデン移動後は急激に腕を上げており、チーム対抗戦においてはキャプテンを務めるまでになっている。2005年12月21日のクリスマスSP、2006年1月4日の「TOKIO軍団vs愛エプ軍団」、4月12日の「石原軍団vs愛エプ軍団」ではいずれも高評価を受けていて、石原軍団のリーダー渡哲也と戦ったときは、95点と自己最高得点をマークした。レギュラーランキング戦で自己最高位を更新しつつあるが、7月5日放送分『愛エプ杯争奪SP』のような大一番で最後の詰めを誤る事もしばしばあり(また、番組のネタとして“引っ張られて”いる事もあってか)、特~上エプ、特エプ王手と、なかなか特エプを取らせてもらえない状態だった。最終的にランキングは126人中13位(特~上エプ)という高位置であった。元祖愛エプ四天王である。
      • 2006年10月11日放送分の愛エプカップ2007の出場権を賭けた予選では見事なカツ丼を作り、91点という得点を叩き出し、8人中1位で愛エプカップ2007への出場の切符を手にした。また、2006年11月8日放送分では、裏技などを使い、見事な和風ハンバーグを作り、秋野暢子や森公美子といった強豪を抑え、瀬川瑛子と並ぶ99点を叩き出し、優勝2冠を手にした。
      • 2007年5月30日放送分愛エプ料理グランプリ!日本料理界の権威が決める過去出演の1,130人の中から最優秀料理人ランキングでは、ベスト10の6位に見事輝いた。
      • 2007年6月6日放送分の和田アキ子がオーナーのお店の新メニューを賭けてのバトルでは、和田の足のサイズと同じくらいのトンカツを作り、和田をはじめとするジャッジマンからかなりの高評価を受け、100点という自己最高得点を叩き出した。
      • 2007年8月8日放送分の九州食いつくしSP後半戦!東国原知事に宮崎県の新郷土料理を提案する!では、 宮崎名産の冷や汁をアレンジ。通常用いるご飯に代えて中華麺を使うという、まさにアイディア満載の冷やし国原汁を完成させ絶賛を受ける。これが94点という点数を取り、見事優勝した。

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